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2007年3月

不合理なるがゆえに私は信じる。

テルトゥリアヌス

Credo quia absurudum est.(不合理なればこそ我信ず)というのはイエスの説いた信仰のありかたである。そう考えたのは北アフリカのカルタゴに住む非キリスト者を両親として 生まれたテルトゥリアヌス(150?−220?)である。彼はキリスト教における最も初期の神学者であった。166年ごろローマに渡り、ギリシャ語とラテ ン語をよくし、はじめ法律家として活躍したが、194年ごろキリスト教徒となりカルタゴに帰還(きかん)したひとである。ギリシャ、ローマの伝統である理性的な思考を重んじる立場を身につけたのちにキリスト教に入ったひととして、理性と信仰の関係を考え、右のような結論に達した。
これは釈尊(しゃくそん)の説いた信仰の道とは全く対照的な立場を示していると増谷文雄は著書『仏教 とキリスト教の比較研究』で強調した。釈尊の説法は「理性的人間が理性的人間にたいして語りかけたもの」であるが「イエス・キリストの説くところにおいて は、なんらの理論的なものも見出すことができない」とする。「神の国が近づいた」と叫び、急ぎ悔(く)い改めてその日を迎える準備をせよと促(うなが)す教えに理想的なものはない。しかし仏教においても、親鸞(しんらん)などに至ると、テルトゥリアヌス的なものに変質したと言えるだろう。

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