世界救世教の教祖岡田茂吉師は、明治15年12月23日、東京に生まれました。幼少より病弱で、病苦との闘いの前半生を送りましたが、生来正義感や人を思いやる心の強い性格でした。独立自主の精神に富み、青壮年時代は、天性の美的感覚とすぐれた才能によって装身具業界で成功をおさめましたが、妻子との死別、経済恐慌による破産などの大きな苦難を受け、次第に宗教への道を歩み始めました。
昭和元年、神からの直接の啓示を受け、神仏の実在、生死の本義などの真理とともに、救済者としての自らの使命を悟った教祖は、昭和10年1月1日、本教を立教しました。戦前は、宗教弾圧により本格的な宗教活動は制限されていましたが、戦後信教の自由が保証されるや、教祖の教えを求める人々は急速に増えていきました。
教祖の教えは、宗教、哲学、芸術、教育、農業、医学、政治など様々な分野にわたって真理を明らかにしています。特に、“この世界は霊界と現界から成り立っており、人間の運命の根本は霊界にある”という宇宙の基本法則を解き明かした教祖は、「人間の幸・不幸は、人間の本体である霊魂の曇りの多少による」として、その曇りの解消法として“浄霊(じょうれい)”という救いの業を示しました。
また、絶えず”苦しみや悩みの渦中にある人々を救いたい”という思いが強かった教祖は、金や物を求めることに執着し、自己の利益ばかりを求める世の中の風潮に警鐘(けいしょう)を鳴らし、利他愛の心をもつ人々が1人でも増えることを願い続けました。
この教祖の強い願いから生まれたのが「浄霊」であり、農薬や化学肥料を使用しないで安全で健康な作物をつくる「自然農法」であり、優れた美術品を通して心や魂の浄化をめざす「芸術活動」です。特に、芸術活動については、東洋の名品を揃えたMOA美術館(熱海)と箱根美術館(箱根)や、花による霊性の向上をめざす「華道山月」があります。
教祖の願いは、「人を幸福にしなければ、自分は幸福になりえない」という言葉に集約されます。人間が幸せに生きるということは、世のため、人のために時間や労力を使い、それによって魂の充実感を与えられる人生を歩むということなのです。
こうした教祖の思想に共鳴するメンバーは、今や日本はもとより、南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカの各地に広く生まれており、希望と生きがいに満ちた人生を送っています。